2026春「最後の授業」
ベテランの教員が、国語の教員として教壇を降りる日に活用した教材を紹介します。
最後の授業
ふと彼は嘯いた。(とぼけて知らないふりをする。または、強がって大言壮語する。(威勢のいいことを言う。))「これ、国語とどう関係あるの?」「沖縄のことなんて、オレ関係ないも。」 ひとりの生徒の発言に、振り回されてもいられない。授業を進めたい。が、看過できることなのか。「それでは、国語で何を学習するのか?」即座に問い返してみたが、応えられる筈もない。
国語教科ばかりではない。ほかの教科にもそれぞれねらいがある。そしてその時間の目標もある。そのことをしっかり理解して取り組む必要がある。そんなことは蹴とばして席についているとしたら、何のために学校へ来ているのだろう。「学び」というものをどうとらえているのか。
国語教科は、言わずもがな(言わない方がいいと思われること、言うに及ばないこと。)、読み、書き、聞く・話す 手法を学ぶ。
読みは、文学作品を読み主題をとらえる。作者の言わんとするところを読み取り、感想を持つ。また、論説文を読み要旨をとらえる方法を学んできた。筆者の論理の展開を読み取り習得する。自分の考えを持つ。身近には新聞・手紙・知らせ等を読み理解する。
書きは、字・語句の習得から、文を編みだす、自分の考えを表現することになるか。ノートをとる。作文・手紙(スマホ等も含む)
聞く・話す、言葉を操り、自分の考えや他人の考えを聞いたり話したりする。対話、主張ができるようにする。
大雑把に言えばこんなことだろうか。
今回の指導のねらいは、「祖母が笑うということ」(又吉 直樹 著)の発展学習として新聞の切り抜きを用意した。祖母の周りには、作者ばかりではなく、大勢の子供たちや、孫、曾孫が集まってくる。祖母の無償の愛は、人々を引き付ける。この祖母は沖縄戦で酷い、惨い仕打ちを経験してきているはずだ。そんな背景を知ること、現在の沖縄のことを知ることが、生徒には必要だろうと考えた。少しでも深い読みにつながればと考えた。
私は、国語の授業は「想像力」を培うことだと思っています。
私たちは、到底この世のことすべてを経験することはできない。ではどうするか。本を読み、新聞・テレビ・映画等のマスメディアの恩典を受けて見聞を広げることができます。そこには主体性がなければ身に付きません。自分から知ろうとする態度です。広く深い知己に出会える機会があります。
先日は、東日本大震災で黙禱を捧げました。どんな気持ちであなた方は、臨んだか?私は、震災後の現場を訪ねています。原発で避難している人たちと対談もしています。新聞もよく読みます。状況や立場を知ることだけでもと思っています。できるだけその立場の人たちを理解しようとしているつもりです。楽しさ、喜び、悲しみ、痛みを分かち合いたいと思いますが、難しいことです。
豊かに生きたいと思います。そんなこと知ったことかと突っ放していたら、薄っぺらな人間になってしまうでしょう。幼稚であることは、恥ずかしいことです。大人になってください。
孔子のようにはなれませんが。落ち込まないで、諦めないで、居直らないで、自分を真摯に高めていってください。
2026・3・17 国語講師
いかがでしたか。私は感動し、そして涙腺がゆるみました。
生徒たちも、このような素晴らしい教員とともに学校生活を送れたことが、一生の宝となることでしょう。
令和8年4月1日(水) 校長 堤祐二
<卒業式の花と校内の春の花が始業式を迎える生徒たちを待っています>